大師さんのわらじ42(久田美くたみ)   


いまから千年ほど前のある寒い冬の夕ぐれ、久田美小字小山鼻の 真下仁右衛門ましもじんうえもんという家へ、旅につかれた 老僧ろうそうがおとずれた。

老僧「 御晩おばんです、すまんがのぅ、 一晩泊ひとばんとめては、くださらんか」と声をかけた。

その日は丁度ちょうど 老婆ろうば留守番るすばんをしていた。

老婆は、「はい、はい、今開けますからどうぞお入りくだされゃ、こんなあばら で食物も少いですが、どうぞお泊まり下さい」と泊めることになった。

あまり立派な家でなく、大雨が降ると雨がもった。老婆は足が悪く不自由な身ようであった。
老婆は、いろりの残り火にまきを入れ、暖かくした。

老婆は、「今夜は、特によく冷えますだぁ。お坊様こちら近くにきて、火に当たりなされ。」

老僧「これは、これは、 勿体もったいない、遠慮えんりょはしませんぞ」と、その火のあかりに老僧の顔は、みすぼらしいころもにもかかわらず福よかに かがやいていた。

老婆は「 粗末そまつあわがゆですだが、体が温まりますてぇ 沢山たくさん食べてくだされゃ」と、 そうを暖かい心でもてなした。
あくる朝、老僧は「昨夜は大変お世話になり 有難ありがとうございました。」と、 感謝かんしゃしつつ立ち去りました。数日後のことです。身分いやしからぬ人がこの家をおとずれ、
「お宅にお大師さんがお泊りになったとの事ですが、何かお残しになったものはありませんか。拝まして頂きたい。私は 難病なんびょうで困っているので、おかげを受けたい」といった。
老婆は、家中をさがしたところが、すりきれた古い「草鞋わらじ」が一足残っていた。
老婆「もし、お方、先日のお坊様が えられたわらじが残っていましただ。」と言い差し出しました。その人はそれを押しいただいて おがみ、病気が える事をお願いした。
体が何だかすっきりした。その後間もなく病気はなおったという。この事が聞き伝え、言い伝えられ
て、「久田美上地のお大師さんのわらじはおかげがある」と、お参りする人があとをたたず、その老
婆の家は、お礼にお米や 野菜やさいが山ずみとなった。
その老婆が死んでからも、そのわらじをおがみに来る人は多く、近所に飲食物を売る店まで出来たと
いうことです。
貧しいながらも老婆の心からなる接待と、お大師だいしさんへの信仰しんこうは、多くの人々の病気をなおし、人
々への真心まごころが大切であることを教えた。
その後人々は、ほこらにお大師さんをまつり、わらじを 奉納ほうのうして家内安全と 息災そくさいをいのったという。