帰ってきた昆沙門天(多門院)(たもいん)
                    (かえってきたびしゃもんてん)  

 むかし、むかし今から三百八十余年前の元和二年【1614年】のことだった。ある日どこで聞いてきたのか、いい仏様があると、はるばるなん日もかかってこの多門院の村に、伊勢(いせ)の慶龍(けいりゅう)という御師(おんし)【身分の低い神職】札売りがきたのじゃ、そのころは、今とちがってこの村も少し静かなものじやった。慶龍は、村を一軒一軒お伊勢さんの札を売りながら、村のようすをうかがい、興禅寺(こうぜんじ)をさがしあてたのじゃ。そこにはりっぱな仏様の毘沙門天(びしゃもんてん)様がござったのじゃ、慶龍は「これ、これ、これじゃ」と両手をこすりあわせて「ニヤッ」とわらい、村人がいないすきに、こっそりお寺にしのびこみ、おしょうさんが出ていくのを見はからい、大きな風呂敷(ふろしき)に仏様と経文(きょうもん)をこっそりつつみ、やみ夜の中にきえてしまったのじゃ。

 慶龍(けいりゅう)は伊勢(いせ)へ、おおいそぎで持ちかえってしまったのじゃ。伊勢についたのはお昼ごろじゃった。たびのつかれで仏様をたなの上において、ゴロリとよこになりねむってしまったのじゃ。仏様はすましてござった。目がさめると夕方になつておった、ばんごはんを食べてから慶龍が仏様のあるのをたしかめて、とこつくことにしたのじゃ。うつらうつらねむり、ふと、きがつくと、たなが「ガタ、ガタ」とゆれておる。風もないのにおかしいなと上を見たのじゃ、すると仏様が、「ゴト、ゴト」ゆれておる。耳をすませて聞いていると、かわいい声で、「たんごへかえりたい、早う、たんごへかえりたい」とたなからおりてきて、慶龍のまくらもとに立ったのじゃ。こんなことが一週間もつづいた。慶龍もこれには、ほとほとこまって、体も何だか弱ってきたのじゃ。「仏様あすはかならず丹後(たんご)におもちしますから、どうぞおゆるしください」とおがみよった、夜が明けぬ内に早く、風呂敷に仏様をつつみかついで、一目さんに丹後めざして旅だったのじゃ。そして、多門院のお寺にかえしたんだって。そのまま慶龍はどこかへいってしまったのじゃ。

一言 この昆沙門天様は京都熊野、大和信貴山の仏像と共に日本三大昆沙門天の一つ

 国指定文化財 所有管理者 興禅寺 所在地 字多門院864
   区   分       名      称  制作年代
(重文)  彫  刻 毘沙門天立像(びしゃもんてんりつぞう)  平 安

            毘沙門天立像

参考資料    舞鶴の文化財