力男と四国参り地蔵 39
上漆原
今から400余年前、
田辺城が
築城される時のことある。この城の
石垣に使う石を運ばせるため、
領内各村に
奉仕の
人足の割りあてがあった。
上漆原にも十六人の人足が出すように申もうしつけられたのです。
村では早速さっそく、
庄屋の家に集まり
相談したが、数年来の大水のため家や村を離れるものが相つぎ家数が少く、それだけの人数をだすことはできなかったのです。その上
藩の
命令はにわかで、どうすることきできず
工事かの日も近づいて良い
案がうかびませんでした。
毎日のように庄屋を中心に話しあったが良い考えもなく、皆んなだまってしまったのです。
この中に発言もせず
心配顔がおもしない若者がいました。
長之室に
円性と
岩尾の
長左ェ門という二人です。
二人は、ボソボソとなにやら相談していましたが、「人数も大事かも知れんが、村に
割当てられた仕事を
期日までに
仕上ればよいのやろう。わしら二人に任まかせてもらを」と申し出た。
二人は身のたけ二メートル、
十貫【37.5kg】以上の石も楽々と持ちあげ小石でもポィと放り投げるような力を持っていた。庄屋をはじめ村の人は手をあわせて二人の申し出をよろこんだ。
二人は決められた日の朝早く田辺城の
普請場へ行きました。
役人が各村の割当ての人数を調べました。各村とも割当て通りだったが、上漆原は二人だけ、
役人は「コレコレそのほう上漆原の人足にんそくは十六人と申し付けたのにたった二人ではないかいかが致いたした。」
二人は「ヘィわしらは二人でごぜえますが割当てられた十六人分の仕事はチャンとやりとげますだ」と答えたので、
役人は「それならば
先棒は十六人
後棒はそちら二人でこの大きな石を運んでみよべ」と命じた。
二人は「ヘエィ合点です。ヨイショ」と、歩き出しました。先棒はよその村よりえらばれた十六人、うしろは円性と長左ェ門、歩きだしたが先棒はノソノソと足元がさだまらず、まどろしくてかなわない、二人は力が余りぐいぐい持ちあげるようにして運ぶ、先棒は重たくてバタバタとたおれる。
結局大きな石を二人して運ぶことになった。三度運べばこの日は終りになり、ほかの村の分まではたらいた。この
有様をみた役人は、その力の強いこと
真面目なことにに驚き、「上漆原の両名の働きは見事だ。お前達おえたち両名はもう帰っても良いぞ」と早々そうそにかえらしました。
村人はこの事を聞いて二人を温かく
迎えました。そして
盛大な
宴会をしました。二人はお城での石垣積いしがきつみの事をみんなに涼しい顔をして話しました。
この度の働きで村人達は何かお礼いをしようということになりみんなでお金を出し合って四国見物をしてもらうこことになりました。
二人だけで行くのは勿体もったいないと、日ごろ村人の願いを聞いてくださる、お地蔵さんを、この機会にゆっくり休んで頂こうと、
長之室の
辻堂の
三貫六百八十匁【約14kg】のお地蔵さんと、
天然寺の二貫九百五十匁【約11kg】のお地蔵さんも一緒いっしょに頂こうとと言うことになり、
円性と
長左衛門はそれぞれのお地蔵さんを背中に背負しょって出かけました。
丹後山奥からはるばる遠く四国まで出かけた二人は、お風呂いお地蔵さんを先に入れ旅の汚れを
奇麗に
磨上げ、ねるときは同じ
布団でねむりました。行く先々で手厚く迎えられいつもお地蔵はニコニコ顔でした。
四国の旅を終えて村に帰ってお地蔵さんはそれから後も村人の願いを良く聞き届けてくださいました。