まほうの水  38 和江わえ

仏教ぶっきょうでは、 冥土めいどには 地獄じごく極楽ごくらくがあるそうだ。

和江わえの村に 親孝行おやこうこうの一人の 若者わかものがいました。その名は 与八よはちと言う。

与八には 年老としおい両親りょうしんがいました。与八は朝早く夕方遅くまで 野良仕事のらしごと力一杯ちからいっぱい はたらきました。雨がポッリポッリ降り出し、日も れてきました。 いそいで かえ支度したくをして、山道を急ぎました。雨で体は れて寒くてかないません。 八雲やぐも山裾やますそは、与八には歩き れた道です。ふと横を見ると水が いていました。 喉のど乾かわいていてので、手の平 一杯いっぱいの湧き水を一口飲み しました。「 美味うまい」今までに味あったことのない味でした。それがら急いで村に帰りました。

その夜から、 風邪かぜもと三日三晩みっかみばん ねつが続き与八はとうとう死んでしまいました。

与八は暗い中、多くの 死人しびとと下を見るようにトボトボと 何日なんにちも何日も休まずに歩あるきました。その先には川が流がれていました。その川は 三途さんずの川です。そこには 奪衣婆だつえばそして 懸衣翁けんえおうと言う 番人ばんにんがいて、 六道銭ろくどうせん【三途の川の渡しちん】を受け取り、着ている 着物きものをはぎ取ります。お金のないものは、 江深淵こうしんえんという流れの速い血の川を泳いで渡るしかありません。あまりにも流れが速く ぼれては、元の 場所ばしょまで どってしまいます。

与八は死んだときに村人から六道銭を貰もらったので川を渡ることが出来ました。

その先には、わかれ道があります。そして大きな 建物たてものがあり、 夜摩天やまてんこと 閻魔大王えんまだいおう【最初の 死者ししゃ】がいらっしゃる。机の上には 部厚ぶあつ閻魔帳えんまちょうがあり、人の 善悪ぜんあくがすべて 記帳きちょうされているそうです。

与八の前の人は閻魔大王がいる前まで進み、頭を下げて名前をいうと、閻魔大王は「和江から来たか、 大和やまとから来たか。」と聞かれた。「和江からまいりました」というと、「八雲の水を飲んできたか、いなか。」その人は「のんできませんでした。」というと、閻魔大王の顔はくもり、ふきげんになり、「そっちへいけ」
と鉄の門を開く。血だらけの人が一杯いる。 地獄じごくの一丁目だ。水を飲んでいないのに、「のんだ」とウソをつくと、閻魔大王は大きな虫メガネでじっとみている。
顔が 突然とつぜんくもって、大きな 釘抜くぎぬきを机の下から出して舌をぬきとるのです。

閻魔大王は与八に「和江から来たか、大和から来たか。」と聞かれた。与八は「和江からまいりました」というと、「八雲の水を飲んできたか、いなか。」
与八は少し考えてあの き水を思い出し「飲んできました。」と答えると、 満面まんめんえみをうかべて、「こっちへこい。」と 手招てまねきをして門のない方へ 案内あんないされました。何ともいえぬいい おり、 はすの白い花咲く池がありました。 極楽ごくらくです。そこには 温和おんはな顔の人達が 大勢おおぜいいました。極楽では、この八雲の水があがってきて、極楽での やまいや、 のどのかわきをいやすのに使用されているということです。


一言

昔、源平の頃皇室のご休憩所として紅葉御殿(今の仏心寺屋敷跡)がある。由緒のある土地柄でである。和江の紅葉の美しさに謳い残された一句

『わいら行こうかよお寺のせどへ紅いもみじの枝折りに』