弥仙山のたけくらべ 36池内
綾部市と舞鶴市の
年中行事で弥仙山参りという風習が残って、村人たちの楽しみで、この日はごちそうを作って山に登り
明治の初めまでは、
霊峰で
ある日、弥仙山の神様が、村人で最も信仰しんこうの厚い
「太郎兵衛、一つ私の頼みを聞いてくれぬか、私も丹後の国の青葉の山のように、朝日が早く見たいものだ。これからは、この山にあがるときは、必ずこっそりと小石をもって登って来てくれぬか」とたのんだ。
太郎兵衛は、この事を村の寄合いのときに話しをした。村人は「それは、良いことだ。みんなで自分の年だけ風呂敷に小石を持って登ろう」と、話がまとまり、それからは村人はこの山に登るときは、小石をつつんで行きます。
こうしていけば、いつか弥仙山も青葉山より高くなるだろうと考えた。
村人は春夏秋冬このことを実行し山の頂上に小石を積んだ。持ってあがった小石に願いごとをすれば必ず
弥仙山の頂上には大きい石、小さい石、色とりどりの石が積まれている。高さの差は約百米、いつの日にか迫いつくだろう。願い事のある人は、必ず願をいいながら登るといいそうだ。今でも子ども達の遠足で山にあがる時は、必ず石を持ってあがっている。
古老は弥仙山(標高574.0m)をあおぎみながら真剣な顔で語ってくれた。
一言
山が背くらべをしたという民話は全国に数多くあるが、例えば、台湾の奥地霧頭山と大武山とは兄
弟山である。
あるときこの二つの山が高さくらべした。
弟の大武山が兄の霧頭山をだまして、すくすく成長して兄より高くなった。近江の国では伊吹山と浅
井が岳と高さくらべをした。浅井岳は伊吹山の姪であったが、一夜のうちにのび、叔父の伊吹山をお
いこそうとした。それを知った伊吹山の多々美彦はおこって、大剣をぬき、浅井姫の首を切り落とし
た。首は転々ところがり潮に落ちて島となった。
その島が今の竹生島で、びわ湖にぽつんとあるといい伝えられている。