雨引あまびきの宮 35  城屋じょうや


高野川の上流に農家がまだ少い頃、村人は、田畑を耕たがやしとれた作物を田辺の 城下町じょうかまちまで売りに行き生活をしていました。

この村は、水には不自由することなく、毎年農作物は沢山できていました。
しかし、ある年は梅雨つゆもほとんど雨が降らず、毎日、 日照りひでりが続きました。このままでは作物は枯れてしまいお米もできないだろうと村人は心配したのです。高野川の水もほとんど流れてこなかったのです。

今まで水には困らなかった村人は毎日のようにその 対策たいさくに頭を痛めました。これといってよい考えが浮ばなかったのです。
ある貧しい人がいて。 常日頃つねひごろは村人からは相手にさられることはなかったが、この村人たちの心配をなんとか救おう思い、「それには水源を作るか、見つけるしかない。」昔、おじいさんから山奥に池があることを聞いていた。そこは木がおいしげり、道という道はなく、村人たちも行ったことはないし、 魔物まものが住んでいるというのであった。もしもその池に水があれば、 「みぞを作ったら村へ水を流すことができる」男はそう思い。山行きの服装をして、日浦ケ谷の方へ向った。

道はなく、木がおい茂り、つるが行き先をふさぐ。「バタ、バタ」と山鳥がびっくりしたように飛び立つ。
それでもカマで行き先の木や草を刈りながら、峠をあがっていった。
薄暗うすぐらい 木漏こもれがさす、何か魔物がでてきそうである。男は水、水、水と口ずさみながら進んだ。

遠くの方に少し日の光が射し明るいところが見えた。
もしかしたら、男は先をいそいだ。峠の坂が少しゆるやかになり、平らになった。眼前にまっ青な水を一杯ためた池。

「池だ、池だ」 男は思わず飛びあがって喜んだ。
神に感謝した。(今も池ケ谷といって小さい池がある)
雨がながく降らないのに、この池の水は一杯である。男は天の神に池の水を見ながら
「村人を救って下さい、できれば雨を降らして下さい」と祈った。村人たちにこの事を早く知らせようと村に帰った。

夜になって、大松明おおたいまつをともし、天の神に水がさずかるように祈った。
不思議なことに、西の空に黒雲があらわれ、ぽつりぽつり雨が降ってきた。村人達は手をとりあって喜んだ。

大松明は空高く燃える。村人は手に持っていた松明を大松明に投げ入れた。雨はざあざあと降る。村人は口をあけて雨水を飲んだ。作物はこの雨で生きかえり、この年は豊作となった。


村人は喜び、その神霊しんれい安置あんちしてやしろを作った。その名を雨引神社と名づけました。
その後再び天保年間に、ひどい干ばつがやって来た。田辺の城下でも困る農民で殿様のところへ何とかしてもらえないかと願いが相ついだ。牧野の殿様は命令し、近くの民を集めて雨引神社に大松明を奉納するようにいった。村人たちは大きな松明に小さい松明をなげつけ、夜赤々と社の前でお祈りした。
大松明が燃えさかる頃、雨がぽつりぼつり降り、恵みの雨に村人、近郷の人は喜び、神に感謝し神徳をたたえた。 その後もこの神社は雨の社として参拝者がある。