二つ橋   (余内)あまうち30


むかし、伊佐津川のまわりは、田んぼばかりでこの橋を町から、わたってしばらく行けば、家が二、三軒たっていました。田辺の城下町(じょうかまち)より余内へ、余内から町へと行くのにもこの橋を渡らねばならなかった。

ある日のことです。余内村の与助(よすけ)さんが田辺のご城下の親戚(しんせき)へお祝いごとで出かけて行きました。一日楽しく、お酒も料理もごちそうになり、夜のふけるのもわすれていました。お礼のあいさつを、するのもそこそこに、おいとましました。そのおりに、おみやげやごちそうを両手いっぱいに、いただき、ぶらさげて夜道をいそいだのです。月はスイカの皮のようであたりは暗い。

与助は「今日は、少しお酒がすぎたかな、おかしなことに今夜は伊佐津川に橋が二つかかっているぞ。」道をまちがえたのかと与助はふりかえったが、まちがっていない。かすかな月の光で新しい橋がみえる。ほろよいかげんで与助は新しい橋を渡ろうとしたら、「ズーズーズー」と橋がさがってしまって与助はずり落ちてしまったのです。

そこは、やらかい草の上らしいところにお尻がいった。おみやげは両手にしっかり持っていたが、朝の畑仕事とお祝いに、いただいたお酒のせいかいか、疲れがどっときて、いつのまにか、そこにねむってしまっいました。
うつら、うつらと、そのうち川の流れる音がかすかにきこえてきました。何時間ほどねむったのかあたりが明るくなっていました。

与助は目をこすり、辺りを見回すと野ら行きの人が見えました。はっと気がついて足下を見ると、昨夜のごちそうがそこら当り一杯にばらまかれていました。立ちあがろうとするが腰(こし)が痛(いたく)て立ちあがれません。仕方なく、土手をはうようにして道まであがつたのです。はかまも着物も泥だらけになってしまいました。

そこへ、通りかかった町の魚屋さん、余内村へ行商(ぎょうしょう)の途中で与助さんも知っていました。
魚屋「そこにいるのは、与助さんだね、やられたのですね、橋が二つに見えたのではないですか?」
与助「そうですよ、よい橋ができているので、そちらの方を通ろうとしたら、こんなことに、なりました。」
                魚屋「それは、残念ながら、きつねさんにやられたのですよ、ついこのあいだも村の人がだまされていましたよ。」そう言って、魚屋さんは手をさしのべて「わたしの荷車に乗りなさい。」と、家に送ってくれました。

この話が広まってからは、余内の人たちは夜歩きするときは、着物のそでに石をいれていき、二つの橋にか見えたときに石をなげることにしました。
「コン」と石の音がする方が本当の橋で、音のしない方は、きつね夫婦の橋だといわれています。
これはこの近くに住む、きつねの仕わざであり、ごちそうをお供えしない人はよくだまされるそうだ。だれいうとなく、この橋のことを二つ橋といった。現在でも二つ橋といい伝わっている。

白鳥通り日本赤十字病院横の伊佐津川に橋