蛇切岩(じゃきりいわT)  (与保呂)(よほろ)25

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 昔むかし、倉梯村字多門院小字黒部に姉が18才、『おまつ』といい、妹は15才『おしも』という二人なかのよい美しい姉妹(しまい)が住んでいたそうな。 

共に 黒部小町(くろぶこまち)といわれるくらい、村の若者(わかもの)たちはひそかに胸をときめかせていた。しかし、妨妹に恋いこがれる者はすべてはねつけられ、嫁にといわれてもことわられた。それからは、姉妹には、わるいうわさが若者たちのあいだで上るようになったのじゃ、これには大きな理由があったのだった。姉妹はいつも あねさんかぶり のかたちで、こまめにはたらき、黒部から与保呂の奥山へ草刈りに行くのじゃつた。そこには美しくすみきった池があり、姉妹はそのほとりでいつも汗を冷し、一服するのがたのしみだった。

 ある日のこと、いつものように姉妹は奥山へでかけ、美しい池の水面に姿をうつしながら草刈りをしているうち、姉の おまつ が「ホッ」と一息ついで腰をのばしたときだった。おまつは、眼の前の向こうにある姿を見つけた。そして、 おまつ のほほにはさっと、うすべにがさしたのじゃつた。 おまつ が、みとめたその姿は、この村では、見かけない若者であった。
その若者は、年のころ22〜3才で、くっきりと白い顔に星のようにかがやく目。その目は引きつけるように、 おまつ をじっと見つづけていたのじゃ。 おまつ は、かろうじてその若者の目をさけたのだが、その若者の姿は、おまつの胸から永久(えいきゅう)にきえることのない姿となったのじゃ。

 それからというものは、 おまつ は妹の おしも と一緒に出かけるのをきらうようになり、いつも一人で出かけては美しい若者とお話をようになったのじゃ。そして、二人はいつしか結婚(けっこん)のやくそくまでしたのじゃつた。そのときも、おまつにはすでに縁談(えんだん)が持ちあがっていたのじゃ。いとしい若者がある身も知らず自分に結婚をせまる親がうらめしく、おまつはいつもことばをにごしていた。

 ある日、どうしてもこ池に出かけなけれはならないことになった。若者はいつものように池のほとりで おまつ を待っていたが、妹の おしも がいっしょなのを見ておどろいたようにすがたを消したのじゃ。 おまつ は、はっとしたがもうおそい。妹のおしもに、このひみつの恋をしられてしまったのじゃ。 おしも も、このとろ姉が、自分を池に連れて行かなくなったりゆうがわかったのじゃ。およめに行くのをいやがる姉のきもちもわかっのじゃと、おまつは「今日かぎり家へは帰らないから、お前一人で帰っておくれ」といいだしのじゃ。 おしも は、何のことかよくわからないが、姉をうしなうことはかなしいことじゃて。

おしも は、「何をいうのです。びっくりするではないですか。そんなことをいわないで私といっしょに帰って下さい」と、姉にすがりついたのじゃ。おまつはどうあっても帰えらないといいつづけたのじゃ。姉妹が着物(きもの)のそでを引き合っている内、 おまつ は、さっと、そでをふりほどいたかと思うと、あっ、というまもなく身をおどらせて池にとび込んでしまったのじゃと。そのとたん、今まで美しく晴れわたっていた空はにわかに曇り、雷鳴(らいめい)とともにものすごい雨が降ってきたのじゃ。そして、静かだった池の水面がにわかにふくれ上がるように波が立ってきたかと思うと、とつぜんに大蛇(だいじゃ)が姿をあらわしたのだっのじゃ。

 しばらく大蛇は、おしも を見まもったが、まもなくして姿を消してしまったのじゃ。おしもは、このできごしとにこしもぬけたかと思うはどびっくりし、いそいで家に帰り、一部始終(いちぶしじゅう)を父親にはなしをしたのじゃ。 父親はおどろき、とるものもとりあえず与保呂の奥の池(芦の町)へかけつけると、池に向って「おまつ!おまつ!」と呼びかけたのじゃ。すると、池の水面がさわぎ立ち、すがたをあらわしたのは、おしも が言ったとうりの大蛇であった。 

大蛇は、しばらくかなしそうに父親を見ていたが、やがて池の底へ姿を消してしまったのじゃ。何日かたったころ、池の大蛇が何のうらみがあってか、村人にきがいをあたえているという話が人のうわさになりだしたのじゃ。事実(じじつ)、与保呂の村は次々と大蛇の被害(ひがい)を受け、このままではどんなことになるかわからなくなったのじゃ。村人たちみんなで、話し合いの上で池の主を殺してしまうより外にないということになったのじゃ、どういう方法(ほうほう)を使えばよいのか、みんな困ってしまったのじゃ。すると、日ごろはおとなしく親孝行(おやこうこう)で通っている一人の男が、「昔、母親から聞いた方法がある。みごとに退治(たいじ)してみせる」といったのじゃ。 村人たちは困っていた時でもあったので、この男にまかせねることにしたのじゃ。

 その男はひそかに、もぐさで大きな牛の形を作り、その一部に火をつけて池の中へなげこんだのじゃ。大蛇はそれを見て、めずらしい、えものが来たとおもって、その大牛を一口にのみこんでしまったのじゃ。もぐさの火は、大蛇のおなかの中でしだいに燃(も)えひろがっていったのじゃ。すると一天にわかにくもり、大雨がふりだした。池の中の大蛇は、おなかの中の火にくるしみもがき、のたうちまわったのじゃ。池の水は大雨でしだいに水かさがふえて、Iついにはこうずいとなってあぶれだしたのじゃ。 やがて大蛇もながれだす水と共に急流(きゅうりゅう)に流され、息もたえだえとなったのじゃ。そして、大蛇はかりゅうにあった岩にぶちあたり、たちまち体は三つに切れてしまったのじゃ。

 村の人々はおどろき、おまつの化身(けしん)をこのままにしてはいけないと、三つに切れた大蛇の頭は奥の日尾池姫神社に、胴は行永の亀岩橋から少し下った どうたの宮 に、そして尻尾の方は大森神社に祭ることにしたのじゃ。また大蛇を三つに切った岩を 蛇切岩 と名付けたのじゃ。それから後、今もなお不思議(ふしぎ)なことには、日尾池姫神社の境内と、近くの宮の森一部には松の木が一本も生えないのじゃ。