庄屋しょうや息子むすこ大蛇だいじゃ 三浜みはま   

小橋おばせよりに一つの島が見える。イソガズラ島である。この島の 植物しょくぶつと、雄島おしまの植物とは、同じなかまで、そのむかしは陸続きであったということです。かずら島神社は、今は小橋の宮山に、うじがみの若宮さんとならんで、ひっそりと祭られていますがが、むかしは、浜から海へ1.5キロにあるいそかずら島にありました。だから、年に一度の祭りの日は、村人はみんなで船にのってお参りをするのです。

 むかしから、イソガズラ島へ一度、行きかけてあともどりして、もう一度出直して島にあがると、必ずふきつなことがおこり、二度と生きては帰れない、というもので、村人たちはこのおきてをかたく守ってきた。祭りの日、神主は、小橋村の 庄屋しょうやもつとねます。しょうやは代々うけついできた、 神器じんぎの「ヤナギのまな板」と「金のまな はし」を用いして、 祭神さいじんの「(1)オオアナチノミコト」と「(2)スクナビコナノカミ」に海の幸を差し上げてお祭りを行なうならわしとなっている。

 江戸時代のはじめ、小橋村の、庄屋に、 五郎兵ごろべえという者がいたそうな。五郎兵は大切なようじができたので、どうしても祭りの日に帰えれなかったんや。そこで村の老人たちが、しょうやの家に集まり話あいをしたそうな。そのけっか、祭りの神器が使えるのは、しょうやのあとつぎだけやから、むすこを、ちちおやのかわりに神主役にすることに決めたのや。村人は、 大漁旗たいりょうきを船にあげ、はためかせた。船首に神器を持った、しょうやのむすこを立たせて、イソガズラ島へでかけたんや。そして神さまにおまいりしたあと島の浜石の上で村人は、のめや歌えのさかもりをはじめたのの、とうとうおどりだすものまで出てきたのや。ここでも、庄屋のむすこは 主役しゅやくで、その神主役はりっぱだった・・・と、村人はむすこをほめたたえたのや。むすこはさかずきを重ねるたびに気持がよくなり、すっかりおさけによって小橋の浜へ帰ってきたのや。しばらくしてよいがさめると、ふとわれにかえり「アッ・・さあーたいへん」・・・と祭りに使った「ヤナギのまな板」と「金のまな箸」を島にわすれてきたことにきがついたのや。

 母おやは、それを知ってむすこのしっぱいをそのままにしておくわけにはいかないと、母おやはむすこをはげましたのや。島に取りにもどるようにいったのや村人たちも祭りの後であり、その日に二度上陸してはいけないという村のおきてを犯してもしょうやのむすこであればゆるされるであろうと考えたのや。むすこはむすこで、このしっぱいを父おやにしかられることをこわがったのや、むすこはとうとう母おやと村人が見おくる中をカズラ島めざして一人で舟をこぎだしたのや。とちゅう、なにごともなくカズラ島神社につき忘れていた「ヤナギのまな板」と「金のまな箸」を舟まで運び込んだのや。むすこは、ホッとして村をめざして舟をこぎだしたのや。

そのときだった。一天にわかにかきくもり、黒々とした雲が空一面をおそったかと思うと、らいめいがとどろいたのや。そして、島の方からは、「ランラン」とした大きな目をむき、口からは火ばしらを吹き上げながら、だいじゃが現われたのや。そのだいじゃのおそろしい姿たはたとえようもなく、だいじゃが海に入ると、海は大波となって白いキバを立てて、しょうやのむすこの舟を木の葉のようにもてあそんだかと思うと、アッという間もなく息子は舟もろとも大波にのみこまれてしまったそうや。小橋村の浜で村人や、母おやがじっとして海を見つめて息子の帰りを待っていたのや。母おやは、このようすを目の当たりにすると、行き先をつげることもなく、どこへともなく姿を消してしまったのや。何日かたってから、母おやがいつも使っていたツゲのクシが浜にうちあがったのや、悲しみのあまり母おやが海へ身をなげたことがわかったのや。村人たちは、このようすを見て「神様、ひどいことを」と、このときから、イソカズラ島へのお参りをやめてしまったのや。そして何年かたつうちに、イソカズラ島の、おやしろはくちはて、ついにくずれ落ちてしまったのや。

 このあと村人が集まって話し合いの上、村の 氏神様うじがみさまのとなりに、カズラ島神社をふたたびたてたのや。それでも、しょうやのむすこも神器の行方も、いっこうにわからなかったのや。そして小橋のしょうや、はだいだいでなく、そのつど村人の話し合いで決めることになったのや。現在、イソカズラ島では小さなヘビをよく目にするが、大きなヘビは見かけないのや。そして、わかさの海もふだんはしょうやのむすこのれいをなぐさめるようにおだやかだが、ときとして美しい白波は人を飲みこむことがあるそうや・・・・。
 

(1)オオアナチノミコト おおくにぬし‐の‐みこと【大国主命】日本神話             で、出雲国の主神。素戔嗚尊  

(2)スクナビコナノカミ 少彦名神 
二神が協力して天下を経営し、禁厭マジナイ・医薬などの道を教え、国土を天孫瓊瓊杵尊ニニギノミコトに譲って杵築キズキの地に隠退。今、出雲大社に祀る。大黒天と習合して民間信仰に浸透。大己貴神オオナムチノカミ・国魂神・葦原醜男・八千矛神などの別名が伝えられるが、これらの名の地方神を古事記が「大国主神」として統合したもの。広辞苑より