むかし、むかし、そのむかし
へびが、住みついているこの池を村人たちはこわがって近づかず、このとうげをさけて、畑仕事にいったそうな。そのころ、
そのむすめのへやに、夜中になると、たずねる若者のすがたがありました。両親はたいへんに、しんぱいしました。ある夜、そっと若者のハカマ〔ズボンににたもの〕のすそに長い糸をぬいつけておきました。そしてつぎの朝、父親がその糸をたぐっていきました。泉源寺から
両親のかなしみは大きく、そういえばこのごろ、ごはんを食べずに、目に見えて細くなっていく、むすめがものすごくかわいそうで、しかたがありませんでした。そのかわいそうなことは、たとえようがなかったのです。いつまでもかなしんではおれないと、両親は村人を集めて、だいじゃたいじをすることをおねがいしました。初めはおそれていた村人も、両親のしんけんな,おねがいを聞きとどけることになったのです。池のふちで、たいこをうち、大きな石をなげこみました。これにおどろいた、だいじゃは池をぬけ出てにげはじめました。村人はたいまつとクワをふりあげて、だいじゃのあとをおっかけました。だいじゃはにげるとちゅうで六人の村人をのんでしまいました。村人の一人に弓のじょうずな若者のがいて、ついにだいじゃをたいじすることができましたそのご、だいじゃにのみこまれた村人六人をあわれんでおじぞうさんをまつりました。
一言 現在も祭られている白屋の六地蔵で若者が大蛇を射止めたところは安岡小字蛇死の地名として残されている。朝来には田口神社があり、その石灯籠は丹後守護一色修理太夫義直が寄進したと言う説がある。
また、蛇ケ池があったところは小字池ケ首で、現在は舞鶴高専、舞鶴市グリーンスポーツセンターとして青少年の教育の場となっている。
舞鶴市指定文化財 | 所有管理者 田口神社 | 所在地 字朝来中683 |
区 分 | 名 称 | 制作年代 |
工 芸 品 | 石 灯 籠 | 室 町 |
古墳時代AD300年 | 朝来群集墳 |